最近空を見に行くと、わんちゃんのお散歩している方たちに、よく声をかけていただく。お散歩はルーティンワークなので、さすがに頻繁に見かけまくる私に目が向くのだろうな(笑) 当たり前のように交わす挨拶が温かい。
空に夢中の私はわかる方もいるのだけど、認知してない方に「本当によく見かけるから😄」と言われると恥ずかしい。。実はかなりの恥ずかしがり屋さんなのであります(笑)
恥ずかしいといえば。。。
ふと、お買い物やお食事、仕事で行く銀行などで「ありがとうございます(⌒‐⌒)」「ご馳走さまでした」といった挨拶を交わすときに、『目ではなく口元をみている。。』ということに気づいた。最近、『目を見て交わす』を試みをはじめた。当たり前のことかもしれないのだけど、意識していなかったら、恥ずかしいのか目を合わすことがないというより、少ないことに気づいたのだ。。
そんな話をお友達にしたら、実は同じことを試みているといっていた。なんだか二人して大きい人が可愛いよな~なんて思った(笑)
見た目は大人に見えても、より温かくなるために、小さなことからコツコツとを積み重ねているのだよね😄死ぬまで精進し続けたい。
『目を合わせて交わす』をはじめてから、投げる相手はたいがい笑顔だということに気づいた。
そして、私も笑顔になって、笑顔をみた相手も更に笑顔になって、これがコミュニケーションのはじまりなんだね😄
笑顔で繋がるコミュニケーションは心地いいもの。もちろんこういうのだけじゃないけど。。(笑)
私はバイトや家業も含めて接客業に携わっていたことが多くて、投げる方は得意だけど、受けとる方が苦手というより、少し不器用だった気がする。恥ずかしがり屋さんというのもある。。
話を聞くのは好きなんだけどな(笑)
でも、恥ずかしいなんていってる場合ではないことにも気づいた。
娘ちゃんの仲良しのお友達、摂食障害になって半年以上になる。夏休み明けに退院して、学校にも少しずつきていたのだけど、ここにきて苦しくなってしまったようだ。
昨日は遠足。娘ちゃんと同じお弁当箱に同じ中身をつめてそっとお届けしたら、お弁当を食べている写真と、私と同じように玄関の前に直筆のお手紙とお菓子が届いていた。嬉しい。
息子くんのお友達も、同級生が亡くなった精神的ショックでずっと休んでいる。
日曜日、息子くんがクッキーを持ってたずねたら、そのことがとても嬉しかったということで、学校へ行ってみようという気持ちが大きくなってるらしい。だけど、まだこれてはいない。
わたし「また顔を見せにいってあげなよ」
むすこ「なに話していいのかわからん。。」
わたし「話す必要なんかないよ。顔を見せるだけでええんよ。同じ痛みみたいなものを持っているんやから、わかりあえなくても、分かち合うことはできるやろ。言葉なんかいらんのよ。おるよとか、待ちよるよとか、その気持ちが嬉しくない?」
むすこ「そうやね(⌒‐⌒)」
(頭だけでかんがえず、心で動こう)
みんな頑張りすぎませんように。
今朝は雨。
午後からは晴れ予報。
夕空楽しみにしていいかな?😄
昨日は娘ちゃんの胃の調子が悪かったので、カツが流れたので、夜はカツ。
お仕事前に下ごしらえするかな~~。
あなたが元気でいるならば、それでいいと思う。
それがいいと思う。
存在してくれるだけで、私は心底嬉しい。
あなたに元気がないと、実は私もちょっぴり元気がない。
だけど、私はいつも変わらず生きている。
空を見上げていきていく。
冷たい雨だ。
優しい空で繋がりたいな。
空は繋がっているよ(⌒‐⌒)