人生には分岐点、分かれ道がありここで変わった!みたいなきっかけがあったりする。
私の分岐点。。
私は明らかに、幼い頃と変わったなというか真逆なところがある。深くは掘り下げないのだけど(笑)なんでそうなったんだろう?自分でも思うときがある。
いろんな瞬間はあるのだろうけど、まず考えられるのは、中学を卒業して、親元を離れたということ。親の薦めだったんだけど、当時から今のことしか考えてなかったのか、新天地でのワクワクが優先でためらいもなく流れに沿った。当たってから砕けたらえっか~。。妙にポジティブなところは変わってない。。
新生活がスタートして思ったほど甘くはなく、ホームシックで毎日毎日泣きながら電話をするしまつ。。。
それが何週間か続いた頃、公衆電話で泣く私が名物になり。。。いつもなら、「もうすぐゴールデンウィークだから、それまでがんばれー」っていってくれた母に、
「もういい加減にしなさい!」といって、ガチャンと電話を切られた。
頭の中で「いい加減にしなさい!」が一頻りこだましていたのだけど、その瞬間何かのスイッチが入ったらしく、その日から泣くのをやめた。新しい私のプロローグ(笑)
親元にいた頃の私は、勉強もでき器用で?しっかり者のお姉ちゃん。お店番だってこなす(結構いやいや 笑)
世間の長子のみなさんも同じような気持ちでいるのではないかな?と思うのだけど、「お姉ちゃんなんだから」と、我慢させられる、代表で叱られる。。
それでも、素直なんだかおバカなんだかわからない私はお姉ちゃんなんだからをすんなり受け入れて日々暮らす。でも、理不尽なことで叱られることもあり。。それに加えて甘え上手な下の子。同じように甘えられない私はジェラシーを募らせた5歳くらいの時、捨て身でちょっとした罪をおかす(笑)お風呂の洗剤を自分の頭にかけて、弟のせいにした。案の定弟は両親からこっぴどく怒られるのだけど、同時に私の強い洗剤がかかった頭は危険で、洗い流すためお風呂の熱いお湯を何杯も頭にかけられて辛すぎて泣いた(笑)
「あぁ、嘘をついて人をおとしめるなんてことをしたら、自分に返ってくる」
5才にして悟ることとなった(笑)
『おねえちゃんの乱』
それ以外は、今考えたらえぇぇってことも気にせず、お姉ちゃんを背負って暮らしていた。やっぱ素直なんだなー、私(笑)そしておバカ(笑)
話がそれるは、長いは。。(笑)
まぁ、でもいっか(笑)
話はもどって、my revolutionのはじまり。『人に甘える』ということを知る。
右も左もわからない田舎者がいきなり都会生活。。わからないことだらけだ。電車の乗り方も微妙なら、乗り換えなんて無理(笑)
何もかもが目新しい。
衝撃的だったのが、パスタの値段と種類の多さ(笑)ナポリタンとミートスパしか知らない私。。魚介のホワイトソースのスパゲッティって何?。。明太子スパゲティ?!えっなにそれ?!!!値段も1000円以上した。。カルチャーショーックっ!!!(笑)
いつも涙目うるうるでカントリー娘な私に周りのお友達が優しくしてくれた。あれこれと教えてくれた。めっちゃ美人のお友達がうちの近くにアパートあるから、そこに住んでたまにご飯食べに来なよとか。叶わなかったものの、寮生活に慣れない私のために、自分の家に下宿させてあげられないかと親に談判してくれた子。帰省のたびに、饅頭屋の娘さんはおみやげにと饅頭をいっばいもってきてくれた。wonderful~
誰かが私になにかをしてくれる。。できなくって私は頼る。人に甘えるなんて概念があまりない私が甘えることを知る。おねえちゃんでいることをやめた。
前に尾木ママさんがいってたのだけど、芸術性とか語学力とか。。人間の性質で一番最後に決まるのは性格だといっていた。性格は色々と紆余曲折を経て二十歳すぎくらいに決まる?んだそう。
私が、私なりの紆余曲折を経て今に至った。
何でも人に与えてもらうばかり、頼ってばかりの人生なんてつまんない。
だけど、誰かに頼ることはとても大切。
1人でしょいこむとキツい。
片意地はっていきるより、にっこり笑って「ありがとう」って言える可愛らしさを。
そして、感謝の気持ちは忘れないで。
写真がたくさんたまってるから、続きは次回(笑)
空はつながっているよ。