私は今、私史上、きっと最大の悲しみに包まれていて、そして、もしかしたら最高の幸せな時間を過ごしているのかもしれない。
ありふれた日常に、笑顔があって、大好きな人たちの笑顔を見るだけで幸せな気持ちが溢れてくる。
ご飯が食べれた、痛みに顔が歪まない瞬間があった、普通に歩けた。そう、当たり前にできること、存在してくれていること、それだけで嬉しい。
今までも、そんな小さな幸せに感謝することはあったけど、それがキラキラ輝いてみえることなんてなかった。1人1人の優しさや思いやりが折り重なって、温室のようにポカポカしていて心地いい。
時間よ止まれ!そんな気持ちになる。
幸せってこういうものなんだと思う。
私の感じる幸せはこういう感じ。温かくて優しい、この感じ。
父の病気が再発した。早い。。
そして突然先生から告げられたのは最悪のシナリオだった。骨への再発はかなり痛みを伴うようだ。痛みをこらえる父の姿を見るのはキツイ。。だけど、本人が心身ともに一番キツイはず。
もう治療ができないという暗闇。。
とにかく一人になると泣いた。夕空散歩の帰り道、暗闇の中泣きながら帰った。
最悪なことを考えてしまっているとき、ぐるぐると後悔みたいなものが回り始める。
あのとき。。あのとき。。
私は自分の人生に後悔のないよう、心を込めて暮らしているつもりでいる。
こんな私でも、いざとなると後悔が渦巻く。
だから、
「ありがとう」とか、「ごめんなさい」とか、「大好きだよ」とか、誰かになにか伝えたいことがあるならば、今だと思う。
唐突だって、後れ馳せながらすぎたってかまわない。
人生の忘れ物になるかもしれないものが、宝物に変わるかもしれない。
今すぐに伝えよっ。今すぐに。。
そんなことを思った。
土曜日、大学病院の方の主治医の先生がいらっしゃり、父の顔を見て今後を話すことになっていた。
そこで『希望』という文字が再浮上したのだ。治療ができる!その治療方法については賛否両論、よいのか悪いのかはやってみないことにはわからない。だけど、『希望』があるということの大きさは底知れぬものだった。
それから確実に父がかわった。表情から、見た目での病状の変化、気力が湧いてきた感じだ。
『希望』って人が生きていくうえで、とても重要で不可欠なものなのだなと再認識した。
希望の光は眩しかった。
明日、父が自分で決めた今後を、先生にお話することになっている。そこからのスタートだ。
父はどうするのだろうか?
そうそう、
昨日、実家から自宅に戻ったら。。なぜか娘ちゃんが私の結婚式のビデオを見ていた(笑)
旦那さんは恥ずかしすぎるといって、寝室にいってしまったようだ(笑)もちろん私も恥ずかしすぎる(笑)
そして、「じいちゃんが若いし元気だ」って、号泣していた。
それで思い出したのだけど、結婚式は教会?式で、はじめは父親とバージンロードを歩くのだけど、なんと!!父は。。。バージンロードへの扉が開く直前、ブーーっと大音量のオナラをしたのだ(笑)
「もー、おとーさーん」
笑が止まらなくなりそうだった思い出。。
うちの父はほんと「もー、おとーさーん」って人(笑)面白いというか。。(笑)可愛いげのある人だ。
それを母に伝えたら、涙を流して笑っていた。父はその話を聞いて、
「オナラ?!おまえがやったん?」
おどけた顔で、わかりきったおとぼけをかましていた(笑)母はまた笑っていた。
私がするわけないやんかー(笑)
泣くことはあっても、最高と思える今日を積み重ねていきたい😄
前にも同じようなことを書いた気がするけど、私は不安や絶望でいっぱいになったとき、一頻り考えたらすぐに『いつか晴れるだろう空』へ立つ準備をする。晴れるって疑わない。なぜって自分がそう願っているから。。
人生は心持ちしだいだよ。
晴れた空の下、笑顔で立っていたい。
空は繋がっているよ。