いつかの夕空。。綺麗だった(⌒‐⌒)
土曜日、肌寒い雨降り。
両親と子供たちと5人でお出かけ。5人乗れば我が家の可愛い車はパンパンになる。
アクセルも重い(笑)
今日のお出掛けは映画を観る。
原作が私の好きな本。
トルストイの「イワンの馬鹿」
河島英五さんの「時代おくれ」以来の私的バイブルになった本だ😄
「母さんがどんなに僕を嫌いでも」
あらすじを読むとつらい虐待の話がかかれている感じだったのだけど、なんだかシンパシーみたいなものを感じて、ほんとすぐに本を買った。大好きな仮面ライダーウィザードからの繋がりだ。いつもバタバタ感に溢れて時間を作るのが苦手な私が、隙間という隙間に一気に読み上げた。しかも、読みながら泣きっぱなし。。そんな経験はじめてだった。そしてその涙、たぶん悲しい涙というよりも、希望溢れる温かい涙のように私は受け取った。
想像を絶するつらい過去を経験された苦労話というのではなく、虐待したお母さんを許すとか許さないとかの話ではなく、今の作者さんの輝きがすべてのように感じた。希望そのものだ。そして、作者さんのパワーはもちろんのことだけれど、周りの方の温もりってものすごいなと感じた。
「生きてる」って温もりを感じること、温もりがあることだと私はそう考えている。
めっちゃ生きてる感に溢れていた。
帰りの車や途中寄った豚カツ屋さんで「映画よかったね」ってみんなで話した。満場一致のよかったは珍しいし、同じ事について話すということだけで、なんだか感激した。
父だけ原作読んでなかったし、父がどう感じるのかな?想像つかなかったので、「よかった」っていってくれたことが、ものすごく嬉しかった。ホロッときたのだそう。
「最近じいちゃん涙もろくなったらしいよ、テレビ見ながら泣いてる時があるんやって。ばあちゃんがいいよったよ」と息子くん。父の涙なんて最近になるまで、祖父が亡くなったとき、目頭をハンカチで拭いていた姿しかみたことがなかったので驚いた。
私は「希望」が大好物だ。希望に溢れているものに吸い寄せられる。
前に娘が、
『生きる薬はまず希望』って書いてたけど、よくいったもんよね😄って思った。
まずは希望を持つこと。
そこに鍵があって、去年は希望の光をずっと追い続けてたなと思った。
父はまた悪いとこが腫れまじめ、いたそうだし、息がものすごく苦しそうだ。
抗がん剤をして、腫れもひいたし、車椅子移動していたはずなのに、歩くのもだいぶん早くなって、短いお出かけなら歩行器ではなく杖で歩く。元気になったってどこかで思っちゃってたふしがある。
人間って、都合よく喉元過ぎれば忘れてしまうもので。。最近思う。。
私のおバカやおボケを棚にあげていっちゃうと(笑)前向きに生きるというのは、たぶん忘れてしまうということではないのかって。
自然体でいるというのも、色んなことを忘れてしまうということなのではないかって。
私は前向きだとか自然体だとかよくいわれるのだけど、ほんとはすぐなんでも忘れて今に没頭してしまう、ただのおバカちゃんなのだ。自分でもバカなんだろうなとひそかに思っている。たまに凹む(笑)
忘れちゃうかわりに、、今は大切にする。
どの瞬間も心を込めて
完全に忘れてるわけでもないらしいけど、今のことしか考えられないほどの不器用ものだ。。。
ごめんね。お母さんはバカです。。
子供たち愛してるよ。
愛してくれてありがとう。
それにしても空っていいよね。
大好きだ。
空は繋がっているよ。。