日常生活に使う言葉に心を込める~言葉を大切に扱うということ

僕が大切にしていることは

日常生活に使う言葉に「心を込める」ということです。


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これは息子くんが中2のときに出た市内弁論大会でのはじまりの一節だ。

 

書き記しがあちこちになるけど😌

息子くん、毎日書く一行日記?のようなものがあるらしいのだけど、担任の先生が書いた返信の一言?に激怒を通り越してちょい悔し泣き?が入った。息子くんが泣くのは珍しい。(泣いてはないか 笑)毎日、今日あったこと、勉強内容時間などを一行書き記さなければいけないという。。この強制的な決まりごとまではなんとか納得済み。その一行をテキトーに書いている人に対して丁寧に書けと文句をつける?先生。。これも多めにみてスルー。が、しかし先生はかなり心のこもっていない、時に嫌味なことを返信するという話だった(笑)

それにしてもよく怒る(笑)(キレるとかはないけど) 怒りの熱量はすごい。本人も他のものに使えたらいいのにともらす(笑)何に使おうかな?とか私は本気で思う😁

息子くん曰く、「僕は国語が得意なんよ。特に現代文は筆者の気持ちを読み取るみたいなところがある。人と口喧嘩になったとき、相手が言われたくない言葉がよくわかる。だからすごく言葉には気をつけているところがある。(中略  笑)言葉を大切に扱えない人は国語の先生になってはいけないと思うんよね(担任の先生は国語の先生らしい)」と。なんだか納得した。先生は提出物を忘れたり、教科書をおいて帰る生徒に「人としてどうなの?」というのだそうだ。人として。。。人ってそんなことで決まるの?

切り取って聞いた話なのでなんとも言えないのだけど。

どんな先生なんだろ?お電話で話したときは、特に感じの悪さはなかったけど。息子くんも悪い人ではないと思うよと。「人としてどうなの?って話😁」といっていた( ̄0 ̄;)

 

不思議なもので、同じ事をいっても好きな人がいうのと、嫌いな人がいうのでは受け取り方にかなり違いがある。信頼関係ってとても大切なもので、片方だけの思いでは築いていけない。とりあえず、嫌よ、嫌よだけでは深まらない。

 

最近子供たちとよく話す😄休校のおかげで我が家は色々と新風も神風も吹き抜けた気がする。

 

 

我が家は日常生活につかう言葉に心を込めている。


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今日NHKのホームページより雲研究者の荒◯先生からの宿題なるものに参加したみた😁テレビを見る習慣がないので、案の定うっかり見逃してしまった( ̄0 ̄;)ホームページでみる。。宿題を考えながら久々にお空のことを思うのが楽しくて仕方なかった。私が出した雲の写真はこれ写真。


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お空に薔薇の花がぱぁーっと咲いたときのものだ。自分が撮った雲の写真に雲の名前をつける。そしてその雲の気持ちを書くなどの宿題😁ほんとは子供さん向け😁お空に唐突に薔薇が咲いたときの感動が忘れられない。

やっぱり私は空が好き。大好き。

雲のある空が特に好きなんだ(⌒‐⌒)


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息子くん車に当たった翌日、元気に自転車で学校へいった。今までの彼なら「車で送ろうか?」に「ありがとう」と答えをだしたはず。(一年の5月、自転車で転倒。頭を打って病院へ。スラックスも破れた。実はヘルメットもヒビが入っていてヘルメットの大切さを痛感した。当分恐怖は消えなかったみたいだった)

「僕は大丈夫だから明日は自転車行くから!」

と力強く!頼もしい(笑)車のボンネットに乗り上げたのにだ(笑)誰かが聞いたら高2の男子か?ってなるのかもしれない。いやいやめっちゃ頑張っているよ。変わろうとしている彼は楽しそうだ。

 

筋肉は裏切らないのかなぁ😁

 

すぐそこで

「宿題はたくさんあるけど体は全然大丈夫だ!なんぼでもいける」と呟いている(笑)

私はもう眠る。これ以上は無理(笑)

 

 


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みんなお疲れちゃん。

毎回文章がまとまらない。。(笑)

 

空は繋がっているよ。