お父さんがいなくなって早4ヶ月以上が過ぎた。お別れした日のブログを書いて一度まとめたいと思っていながらなかなか書けない。
今になって色んなことを思い、考え。。。見えなかったものが見えてきては涙したりする。スマホに入っているある日のお父さんは、時折痛みを堪えた顔をしている。そんな時でも、カメラを向けたらおどけて面白い顔をしてくれた。お父さんは私が思っている以上に、みんなと生きるために頑張ってくれてたのだなって今思う。ごめんねって気持ちもちょっぴりあるけど、頑張ってくれたことをとても嬉しく思う。
当初、一人になると声をあげて泣いていた。
自分の気持ちと歌詞がシンクロする『Lemon』という曲を辛くなるのがわかっているのに、何度も何度も聴いて、聴いて、聴いて、泣いて泣いていた。
最近は落ち着きつつあるというのか?わんわん泣くことがかなり減った。
毎日バタバタしているせいもある。息子くんが高校へ入学してからアクシデントの連続だ(笑)ある意味とても助かっている。
お仏壇にお線香をあげながら母に
「最近私少しは落ち着きつつあるんか、はじめの頃よりは、泣く回数が減った気がするけどお母さんはどんな?」
「そうやね。そうかもしれんね」
お母さんはいつも寂しそうだ。寂しさを紛らすために、動き回ってお掃除をしていたり、仕事したりバタバタだ。
かと思えば、お父さんの定位置の椅子でうとうとしながら、再放送のサスペンスを見ている。
ずっとテレビをつけていたお父さんの気持ちが今頃になってわかるといっていた。
常にバタバタ働いてるお母さんは、お父さんと世間話的な会話をほとんどしなかったらしい。「お父さんたぶん寂しかったんやね」と言っていた。
私「私ね、昔は好きなタイプは?って聞かれたら、あんまり考えたことないし、気持ち悪いくらい優しい人が好きって答えてたんよ(笑)」
( 前にそんな話をお友達としていたとき、
「私は好きなタイプって聞かれたら、気持ち悪いくらい優しい人って答えてたんだけど、実際は一度もそんなタイプとはお付き合いしたことがない」というと、「それはほんとにそういうのがタイプなんですか?」って返ってきた。その場ではサラッと「ですよね」なんて流れたのだけど、あとから急に自分に問いはじめて(笑)真剣に考えることでもないのかもだけど、考え始めた。本当はどうなの?)
私「だけどね、よく考えてみたらそんな人と付き合ったことがないしどうなんやろ?って思って結構マジで考えて出た答えが、許してくれる人がいいなと思ったんよ。なんでも許してくれる人が好きなんよね。許してくれる人がいいんよ、私」
母「うん」
私「お父さんはほんとお母さんにゾッコンやったけど、なんでやろ?って考えていたら、やっぱお母さんはお父さんのこと全部許してくれたから、お父さんはお母さんが好きやったやろうなと思ったんよ」
母「うん。そうなんやろか?」
私「お母さんは色々と苦労して許せんこともあったと思う。やけど、最後の最後、病院の駐車場で悪いとこも含めて、それが全部お父さんの魅力やったんやね。って言ってくれたときは、私はほんとに嬉しかったんよね」
もうこの時点でダメで二人で久々涙を浮かべていた。
許してくれる人が好き。
私は許してくれる人が好きだ。
私も本気で愛する人を許せる自分でありたい。逆に許せるってことが愛するってことなのだと思う。
翌日テレビの番組で瀬戸内寂聴さんが結婚する秘書さんに宛てたメッセージをいっていたらしい。それがちょうど私がいってたことと同じようなことをいっていたらしく、それを聞いて納得していた(笑)やっぱり私の言葉では心におとしこめなかったみたい(笑)
私はいつもカメラマンなので、お父さんと一緒に写っている写真は少ない。
私のお父さん。大好きなお父さん。
ここはアクセスもほとんどないので、どうしても載せたかった2ショットをそっと載せてみる(笑)
小さいときはそっくりだと言われていた。生まれた時病院で、どの人がお父さんか言わなくてもすぐにわかるぐらいだったらしい(笑)
車椅子で海へ行った帰りにうどん屋さんへ寄った。久々の外食。うどん一杯食べきったことが嬉しかったのを思い出す。
「お父さんっ」今でも思う。
お父さん、お父さん、お父さんって涙が溢れる。大好きなお父さん。
◯◯さん(母の名前)
長い間わがままな夫である私をよくみてくれました。二人でお仕事をよくしましたね。
今更ですが手術が成功したら 又残りの人生をいやでも一緒に楽しくしようね
お父さんには『生きたい』という意思があった。私も(みんなも)生きてほしいって気持ちがあった。
だけど、ずっとテレビを見ていたり、生きるために自分から前向きなことをしているようには感じられなかった。(ほんとはしんどくて、それが精一杯だったんだよね)だから、なんでそんなに生きたいと思うのだろう?って、お父さんの心のうちを知りたいなってずっと思ってた。だけどね、お父さんがいなくなったあとから読んだメッセージでわかったんだよね。
最後担ぎ込まれた形で入院した翌日病院へいくとお父さんが
父「昨日の夜は3回水が飲めた。それで生き延びれた。おまえ(母)のために頑張った」
といっていた。それを聞いてお母さんは笑っていた。
お父さんは今まで苦労もかけたお母さんと、残された日々を楽しく過ごすためにいきたかったんだってはっきりわかった。がんばり屋で完璧主義でちょっぴり不器用なところがあるお母さんに寄り添うために生きたかったのだ。
一見人から見ると、お父さんがお母さんにおんぶにだっこされているように映っているのだと思う。実際今までも、苦労したことだけを言って、さも不幸せかのようにいってくる人もいた。
お母さんもそれを違うと突っぱねることはなかった。きっとそう思っているところがあったから。
だけど、今は違うだろうな。。
書きたいことを書いてみた。
めっちゃ涙出てきて鼻がつまっちゃった(笑)
世の中ってほんとのことを知らない人が色んなことをいってくるよね。。
でももうどうでもいいんだよね。
知らない人は言わせとけって思うんだよ。
大切な人にわかってもらえれば。
大切な人にも伝わらないときがあるけど、それは時間をかけてでも、心を込めて伝えたい。
なんだかーー
お父さんありがとう。