私の役割は『温もり』
誰かに見えないものでも
誇りをもつこと
傲らず 謙虚であれ
去年の年始めブログに書いた言葉。
今年もそう。
そして、どの瞬間も心を込めて(⌒‐⌒)
(初日の出。今年はベランダからみた)
師走。慌ただしくてハッと気づいたらクリスマスイヴ、ハッと気づいたら大晦日だった。
そんな私自身にハッする ( ̄▽ ̄;)
なんというか、ほんとびっくりすることばかりだよね。私も。。世の中も。。。(笑)
息子くん、なんとか終業式を終えたと思ったら、その後1週間は課外授業(^_^;)
休んでも欠席にはならないらしけど、しっかり授業は進むのでできるだけきてくださいとのこと。
3日目車に乗り込む直前に吐く。色々あってそのまま学校向かうも、車では飛び散った嘔吐物をアルコールティッシュで拭く作業をしていた。本人は行こうとしているけど、顔をみたらとってもヤバイ感じ。。とりあえず坂をのぼって神社へ。一旦戻って休もうと提案した。どうしても気になる3時間め。とりあえず1時間弱だけど休むことに。
その間に私は洗車をはじめた。
何ヵ月も苦しむ息子くんの姿。。一日九回
そして、急にこの車への感謝がこみあげてきた。お父さんを乗せて、初高速道路を走り、大学病院へ通ったこと。大好きなお友達も乗せたこと。子供たちの送り迎え。ひしめきあいながら大阪へいってたこと。数えきれない思い出がある。「ありがとう」が溢れてきたて泣きながら洗車した(笑)こんなにものに愛着を感じたのははじめてだなと思った。
私の愛車はとってもがんばり屋さん。もうなかなかのお年なのに😁嫌な顔ひとつしないでずっと一緒に走ってくれる。そしてとってもチャーミングなんだ。
弟が帰ってきて車に乗るたびに、「ええかげん買い換えたら?」とか言われる(笑)
だけど旦那さんも同じ気持ちでいるんだろう。色々とメンテナンスして大切にしている。
結局は大切なのは見た目じゃないんだぜ。とか思う。
心が苦しくてなって泣いた翌日、久々に遅れず校門をくぐれた。泣けた。めっちゃ泣けた。今度は嬉し涙が止まらなかった。課外授業最終日の翌々日も遅れなかった。
校門に立つ先生にご挨拶し、進級のための出席日数について詳しく教えていただいたm(__)m
毎朝フラフラな息子くんと校門まで一緒に歩いた。そんな私をみて過保護やと思う人がいると思う。私の一連の行動自体もそうだと思う(実際そう思われるかな?という気持ちも正直よぎった。)
それはその人が何にも知らないからだ。知らない人は好き勝手いうのだ。そういうのは気にしなくていい。そして知らないのだからいうのも当たり前なことだ。そんな外野の声、自分で生み出してしまう被害妄想をはねのけるには、自分に恥じない生き方(大袈裟やな 笑)一生懸命生きることだと思う。それが間違いだったなと思うときもあるかもだけど、自分を信じる強い思いが鍵だ。
この前中村哲さんのドキュメンタリーを軌跡的見ることができた。普段テレビはあまり見ないのでかなりラッキーだった。旦那さんがたまたま見つけてつけてくれた。中村哲先生、本当に素晴らしい人だ。素晴らしい人に触れると私は決まってちょっと落ち込む。何にも考えずボーッと生きてきた自分に落ち込むのだ。「ボーッと生きてんじゃねーよ」がめっちゃこだまする。
前も書いたのだけれど、人ってやっぱりやるかやらないかなんだと思う。この人だからできたんだというのではなく、きっとやるかやらないか。やらないのが悪いという話ではなく、“やるかやらないか”なのだ。
最近思うことは言い訳にすぎないのかもしれないけれど、自分の愚かさに気づけたということもかなりのお宝だなと思う。
どう生きたいか。こんなことも昔は考えなかったよな、わたし。
今年もとにかく一生懸命生きたい。
一年終わった時に
結局楽しかったよねと言いたい。
今年は息子くん受験生。その前にまずは進級😁娘ちゃん中学生だ。
どんな年になるのだろう。
どの瞬間も心を込めて
空は繋がっているよ~